諸星あたる。1度目の鬼ごっこで、地球を鬼族の侵略から守った英雄ではあるのだが、そのような事実はとうの昔に人々の記憶の片隅に追いやられていた。そして2度目の鬼ごっこ勝負の事も、平穏無事な日常の中では、多くの人々にとって何の意味も無いも同然であった。当の諸星あたると、そしてラムのふたりにとって、以外は。
あたるの女好きは相変わらずだったし、ラムのヤキモチ、かんしゃくも、以前とほとんど変わっていない。ガールハントに、クラブや飲み屋のはしごをして帰ってくれば、ラムが怒らないわけがない。
この物語の中では、ふたりはラムのUFOをあたるの実家屋根上に停泊させて、そこで同棲していた。結婚はまだである。だからあたる曰く
「結婚する前から、浮気がどーだの、飲み歩いて午前様がどーだのと、言われたくないわっ!」
それに対してラム曰く
「だけどもう結婚してるのも同然なんだからっ!浮気なんか許さないっちゃーーーーっ!!」
との事。
「ったく、どうでもいいが、オレが外で何をしていよーが、お前に干渉されるいわれは無いわっ!」
「だけど家計を預かったり、ダーリンの面倒色々見たりしてるのはウチだっちゃ!文句あるのけっ!?」
「だからってなぁ、まだ結婚もしとらんうちから、女房気取りするな、っちゅーんじゃっ!」
「それじゃあこの指輪は何だっちゃ!」
「それはオレが買ったんだぞっ!文句あるんならなぁ〜〜〜っ!!」
「わかったっちゃ!ダーリンがそういう態度なら〜〜〜っ!!」
いつものような口論だったが、眉を吊り上げたラムは、左手薬指にはめていたシンプルな指輪を外すと、あたるに突き付けた。
「だったらこれ、返すっちゃ!それでいいっちゃ!?」
「そーかいっ、オレがやったんだから返してもらおうじゃないかっ。こんなもんっ!」
そしてあたるもカッカしながら、自分の左手に付けていた指輪を外した。
「質屋にでも入れて、ガールハントの資金にしちゃる!」
「もーーーっ!ダーリンのバカーーーーーーッ!!」
その後あたるは、というと。実家のかつての自室で寝る事にした。隣の部屋には小学生になったテンがいる。あたるは苛立ちながら、ふたつの指輪を机の引き出しに乱暴に放り込むと、さっさと布団を敷いてごろりと横になった。するとドアがガチャリと開いた。
「おい、あたる。またラムちゃんとケンカしたんか」
「ガキがうるさいんじゃ。余計な事に口出ししてくんな、っちゅーんじゃっ」
「どーせまた、ラムちゃん怒らすよーな事したんやろ。…ケンカのたんびに戻ってきよって、ここで寝るのはかめへんけどな。元はお前の部屋やったんやし。せやけどなぁ、ワイに聞こえるよーな声で独り言の文句言うのだけはやめたってや。うるさてかなわんわ」
「オレの部屋だろ、何をどーしてよーが、お前に関係あるかっ」
「たまに夜中にいきなり奇声上げよるし…。おばちゃんたちも言っとったで。ケンカするのはしゃあないけどな、実家に迷惑かけるんだけは、勘弁して欲しーわ、て」
「…ジャリテン、お前までオレにケンカ売りに来たのか?」
「ワイは迷惑や、言うとるだけやないか。ホンマの事やないけ」
「うるさいわっ、ガキはとっとと寝ろっ!」
「言われんでも寝るわ。せやけど、奇声上げるんだけは勘弁してや。ほなおやすみ〜」
そしてテンは、自室に戻っていった。
「ったく、どいつもこいつも、何かっつーとオレが悪い、オレがうるさいってなぁ…やかましいんじゃっ」
そしてテンからの忠告も構わず、布団の中で時々「くそーっ」やら「ラムのアホーッ」と言いながら、眠れぬ一夜を過ごしたあたるであった。
翌朝。ほとんど眠れなかったせいで、寝ぼけながら実家で朝食を摂り、あたるは仕事に出かけて行った。
「ラムのアホ〜〜…当分あっちには戻らんからなっ」
あたるはラムが返して寄越した指輪と自分の指輪を、その時は本気で質屋にでも入れようと思って、スラックスのポケットに突っ込んでいた。ぼけーっとした顔付きのまま出社したあたるは、いつものスチャラカぶりで、仕事らしい仕事などしない。眠い目をこすりながら、「オレ、トイレ…」と言って席を立つと、ひとり屋上に上がっていった。
日陰になる適当な場所に座ると、そのまま軽いいびきをかいて眠ってしまった。それからどのくらい経っただろうか。
「…諸星君、諸星君ったら…ねぇ、ちょっと起きて…」
女性の声ではっと目を覚ましたあたる。すると、見知った女性社員が、しゃがんであたるの顔をのぞきこんでいるではないか。
「あれっ、どうしたの〜、わざわざオレ起こしにきてくれた、とか?」
「あのね…今日の帰り、付き合ってもらえないかしら」
「デートならもうっ、喜んで〜!いや、デートなんてもどかしいっ!今すぐ結婚してもいいよ〜♪」
「だって諸星君、奥さんみたいな彼女、いるじゃない」
「いいのいいの、気にしなくって♪あいつとは近々……」
「近々?」
「あー…別れる、予定だから…は…ははははっ…」
「良かった〜♪それなら話は早いわ…あのね…あたしね…諸星君の事、前から…」
「前から!?」
「だから帰りにデート、しましょう。いいでしょう?」
「もっちろ〜ん♪」
「それじゃあそういう事で、仕事終わったら…下で待ってるわね。それじゃああたし仕事に戻らなくちゃ」
そしてあたるとデートの約束を取り付けた彼女は、職場に戻っていった。
「部署の中でも美人に入る彼女と、デェト…食事だけで終わるわけは…無いよな…うひっ、うひょ、うひょひょひょひょ…」
あたるは思いもかけぬ出来事で、頭の中はすっかり“職場のあの子とデェトモード”になっていた。そして終業時間になると、疾風の如く帰り支度をして、職場の彼女が待つ階下へと陽気な笑みを浮かべて走っていった。
「まだ来とらんか…そうじゃ、女性は身支度が色々あるからなぁ…」
それから20分ほどして、やっと職場の彼女がやってきた。
「お待たせ〜、ごめんなさいね〜、ちょっと支度に手間取っちゃって〜」
「いいのいいの♪こうして待ってる間も…楽しい時間のうちだから〜♪」
「や〜ん、諸星君って優しい〜♪」
「そ、それじゃあ、まずは軽〜く食事でも…行こうか?」
「あ、あたしいいお店知ってるの。そこでいいかしら?」
そして彼女があたるを連れていったのは、少々高そうなレストランであった。
(こんなとこじゃあ、金が足りるわけなかろーがっ)
「どうしたの?ここじゃ嫌?」
「いやーいいお店だね〜♪」
そして彼女、好きなものをあれこれ注文し、高そうなお酒まで注文した。
(完っ全に、ここの支払いはキャッシュでは無理ではないかっ)
そしてふと、スラックスのポケットに手を入れてみた。その指先に当たったのは、ふたつの指輪だった。
(…どーせ売るつもりだったんだし、いざとなれば…)
「どうしたの?ちょっと元気ないみたいだけど…あたしとの食事じゃ、つまらない?」
「そんな事無いってぇ〜〜♪うん、楽しいし美味しいよ♪」
そして食事が終わった頃、彼女はすっかり酔っていた。あたるはこの場はカードで支払いを済ませると、彼女と一緒に店から出た。
「ねぇ、諸星く〜ん…あたし、すっごくいい気分なんだけどぉ…」
「ちょっと大丈夫?オレが肩貸すから」
「いいの〜、大丈夫よ〜、このくらい〜。ね〜諸星く〜ん、この後もヒマ〜?」
「あ、ああ、ヒマだよ〜♪君とだったらいくらでもヒマ作っちゃうもんね〜♪」
「それじゃあ…ほら、こっちこっち〜」
足元が若干ふらついてはいるが、ご機嫌な様子の彼女。その彼女と一緒に歩いていくと、ある場所にたどり着いた。
「ちょっと休んでいきましょーよぉ〜♪ねぇ?こういうとこ初めてじゃないでしょ〜?」
「そりゃもちろんっ♪そ、それじゃあ…ちょーっとだけ休んでこっか?」
あたるはなぜかうしろめたそうに辺りを見回すと、彼女の肩を軽く抱いて、ラブホテルの中に入ろうとした。と、その時あたるの耳に…。
「おい、そこの兄ちゃん、人の女に何手ぇ出そうとしてんだ?」
「…へ?」
「だーかーらぁ、人の女とどこ入ろうとしてんのか、っつってんだよっ!」
「あ、いやぁ〜、彼女が気分悪そうだったから〜、ちょーっと休ませようと思って…ねぇ?」
「あ〜ん、ジロー!この人、あたしを無理矢理ここに連れ込もうとしてたのよ〜、怖かった〜」
「そーかい、兄ちゃん。人の女連れ込もうなんて、100年早いんじゃねーの?この落とし前、どーつけてくれんのよっ!?」
そして職場の彼女、あたるの腕からするりと抜け出ると、ジローと呼んだ男の背後に回って「べーっ」と舌を出して見せた。
「まーケンカしてもいいけどよ、人呼ばれちゃこっちも困るし、ここはひとつ、どーよ?金でナシつける、ってのは?」
「金なんぞ無いっ」
「こいつ、財布にカードだったら入ってたわよ、ジロー」
「そんじゃそれで、無かった事にしてやるから、大人しく置いてけよ」
男はすごんだ顔のまま、あたるの背広のポケットやら、スラックスのポケットに手を突っ込んで、財布を抜き取り、そして。
「何だよ、ずいぶん安そうな指輪ふたつ、持ってんだなぁ。もしかして、あれか?こいつにやろーって思ってたのかよ?」
「おい、ちょっと…それだけは…返せよっ」
「ま、安モンみたいだけどな、売れば少しは金になんだろ」
「だからとっとと返せ、っつってんじゃーっ!」
あたるは、財布よりも指輪を取り返そうと、男と取っ組み合ったらしい事はおぼろげに憶えていた。やがて気が付くと、片手に指輪だけしっかり握って、ラブホテルの外壁に寄りかかった姿勢で道端に座り込んでいた。
「…何だったんだ、あれは…」
そして手のひらを広げてみると、ふたつの指輪は無事だった。それを見たあたるは…ほっと安堵の息を漏らした。
「…オレの安月給じゃ…同じもんまた買え、って言われても無理だろーしなぁ…はは、ははは…は…」
真夜中の街を実家方向に向って歩き出したあたる。手にした小さなものをしっかり握り締めて。
あたるの午前様がたまにあったとはいえ、今日のラムは妙に落ち着かなかった。
「ダーリンまだかなぁ…」
実家の玄関外で、ラムはあたるの帰りを待っていた。
「あ…ダーリン…」
街灯の薄い光の中に、少しよろよろした足取りのあたるの姿が浮かび上がった。小走りに駆け寄るラム。
「どうしたっちゃ、ダーリン。…あ…」
「…何だよ?」
「香水の匂いがするっちゃ。どーせ女に手を出そうとして、殴られたんじゃ…。でも、随分ケガしてるっちゃ。どうしたのけ?」
「…うるさいわっ…どーでもいいだろっ」
「上着もズボンもあちこち擦り切れてるっちゃ。…誰かとケンカでもしたのけ?」
「だから、どーでもよかろーがっ…ふんっ…」
ラムはあたるの体を支えるようにして、彼の腰に腕を回した。そしてあたるの顔をのぞきこんだ。
「…何だよ、人の顔、じろじろ見るな、っちゅーの」
「何があったか聞かないけど…早く傷の手当てしないと、だっちゃ」
「…放っておいても、勝手に治るわ、んなもん……いてっ、ててっ…」
「やっぱり痩せ我慢だっちゃ。相変わらず素直じゃないっちゃ、ダーリン」
「ラムは何でこんな時間に外におるんじゃ…」
「何だか妙な胸騒ぎがしたから…外で待ってたっちゃ」
「もう真夜中だぞ?」
「そういうダーリンだって真夜中にこんな格好で帰ってくるなんて…おかしいっちゃ」
「だから余計なお世話だ、っちゅーんじゃ…あっ」
体を支えているラムの腕を解こうと、あたるはスラックスのポケットに突っ込んでいた手を出した。その途端、“キンッ、ころころころ…”という音を立てて、彼の手の中にあったふたつの小さな貴金属が、地面に落ちた。
「ダーリン、これ…」
「質屋にでも入れようと思っとったが、どっこも休みだったんじゃっ」
ラムはふたつの指輪を拾うと、自分用の小さい方をあたるに手渡した。
「…ごめんちゃ、ダーリン。ウチも…ちょっと…言い過ぎたかなーって…」
「…で、これをどうしたいんだ?」
「はい、ダーリン」
ラムは細くてきれいな左手を、あたるに差し出した。
「やっぱりそれが無いと…何だか落ち着かないっちゃ」
「…よく見ると傷だらけになっとるなぁ…これ…」
「ウチとダーリンがケンカした数だけ、小さな傷が刻まれてくけど…ウチはずーっと、これ、付けていたいっちゃ。だから、はいっ」
あたるに催促するように左手を軽く振ってみせるラム。
「ま、新しく買う余裕も無いしな…」
そしてラムの左手薬指に、あたるの手によって指輪が戻ってきた。そしてラムからあたるの左手薬指にも。その手を並べて見て、柔らかな笑顔になるラム。
「うふっ♪ダーリンから2度も指輪もらったっちゃ♪」
「アホか…」
そう言いながら、あたるは、互いのあるべき場所に、あるべきものが戻ってきて、(ちっと傷は増えたが、やっと元に戻ったな…)と、ふたつの指輪を交互に見ながら、そんな事を思っていた。
「さ、ダーリン、お風呂入ったら、傷の手当てするっちゃ」
「ガサツな扱いするなよ!?これでも結構痛いんだからなっ」
「最初からそう言えばいいのに…ダーリンらしいっちゃ♪」
そしてあたるはラムに抱え上げられて、ふたりはUFOに戻っていった。
「ね、ダーリン」
「何じゃ」
「これからもきっと、この指輪…ケンカするたびに傷が増えていくだろうけど…」
「で?」
「傷の数だけ、ふたり一緒に歳とってきた、って証拠になるっちゃ」
「何を恥ずかしい事を…」
「ウチはずーーーっと大事にするもんっ♪」
「…うん、そっか…」
「はいっ、傷の手当て終わりだっちゃ」
ラムは最後に貼った膏薬の上から、あたるの背を“ぱんっ”と軽く平手ではたいた。
「いってーっ!」
「軽ーーく叩いただけなのに」
「ケガ人だぞっ!?少しは気を遣わんかいっ!」
「ねぇ、ダーリン」
「何だ?」
「もしかしてそのケガ…これが関係してるんじゃないのけ?」
ラムは自分の指輪を見せながら、あたるにそれとなく聞いてみた。
「誰がそれのために、わざわざケガするよーな真似するかっ」
「でもこの間外した時より、傷が増えてるんだもん」
「…勝手に想像してろ…」
そして翌日、あたるの会社にて。あたるが女性社員の溜まり場である給湯室前を通りかかると、こんな会話が聞こえてきた。
「ねー聞いた?○○ちゃんの彼氏、恐喝で捕まったんだってー」
「あーあのジローとかって、チンピラ上がりの男でしょー?」
「ふたりで組んで“美人局(つつもたせ)”とか、よくやってたらしいよー」
「で、相手の男を脅して金品取り上げる、って寸法らしいわねぇ」
「で、○○ちゃん、今日は出てきてんの?」
「今朝辞表だして、今日でやめるんだって。上からも色々言われたらしいよぉ〜」
「だけどいっくら美人だからってねぇ〜。あの女に引っ掛かる男の顔が見てみたいわ〜」
「そういえば…あ、諸星く〜ん。…どーしたの?神妙な顔付きになっちゃって」
「え、いやー別に〜〜なはははははっ」
そしてあたるはその場を後にした。しかし女性社員の噂話の締めはこうである。
「どうやら、諸星君も引っ掛かったらしいわよ〜。会社にお財布届いたんですってぇ」
「やーっぱりねぇ〜彼が引っ掛からないわけがないのよねぇ〜」
「本命の彼女とはどーなってんのかしらねぇ」
「ま、今朝も指輪付けてたから、うまくいってんじゃないの?」
「でも指輪、ちょっとくたびれてたわよ?」
「普通のカップルと違うんだもの、方や無類の女好き、方や宇宙人。色々あって当然じゃないの?」
「終太郎様と友達、っていうんじゃなけりゃ、もっと冷たくしてもいいんだけどねー」
「そこが彼の強みよねぇ。他の男性社員にとっちゃ、ラムさんが憧れの的だし〜」
「あー見えて、諸星君、結構今の彼女にベタ惚れ、って話だし〜」
「話のネタに事欠かないわよねぇ、ホント、あのふたりに関しては」
「そうよねー、ま、楽しいからいいようなもんだけど〜」
そしてまた、その日の夜。ラムは指輪の傷を修復する事もなく、そのままの姿で大事に身に付けていた。
「傷くらい直せばいいだろーが」
「そしたらダーリンとの年月が…ちょっと薄くなるみたいな気がするから、このままだっちゃ」
「新しいの買って欲しいっちゃ、なんつっても、買ってやれんからなっ」
「わかってるっちゃ。そういうダーリンだって…傷だらけのまんま付けてるくせに♪」
「修理する金が無いのっ!」
「うふっ♪ダーリン、大好きっ♪」
大人になっても、ふたりの性格は変わらない。ラムのヤキモチもかんしゃくも、そして…あたるの頑固さや意地っ張りなところも。
そして今日も。
「ダーリン、素直じゃないっちゃ!」
「ラムもいー加減、そのかんしゃく直したらどーなんだっ!」
とまぁ、朝っぱらから、ケンカに余念が無い。
ケンカの回数だけ、小さな小さな傷が、指輪に刻まれていく。それは、ふたりの歴史みたいなものだ。
けれども。どんなに傷だらけになったとしても。そのプラチナの輝きは、何にも劣らない。
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